西川秋象・西川壽麿が選ぶ
次世代を励ます日本史上の百人


  • 「源順(みなもとの・したごう)」
125回 日本文化フォーラム、3月24日(土)午後2時~4時半、穂高神社参集殿1階
・日本語・日本文学を学ぶ海外学生には著名でありながら、百人一首に選ばれていないためか現代日本人には浸透薄いこの人物をご紹介。
・和歌にも漢文にも強く若干20代で日本初の分類体辞典の編纂員を務め、また数々の児童用書籍も遺した、学問の神といってよい才人です。
・竹取物語や宇津保物語、落窪物語の作者では?とも言われ続けている人物です。

  • 「一条兼良(いちじょう・かねよし)」
129回 日本文化フォーラム、4月25日(水)午後2時~4時半、穂高神社参集殿1階
500年に一人の天才と言われた室町期の古典学者。

  • 「保科正之(ほしな・まさゆき)」
    131回 日本文化フォーラム、5月23日(水)午後2時~4時半   穂高神社参集殿1階
・高遠藩主山形藩主会津藩主
・世界初ではとも言われる養老年金(養老米)制度など、現代世相に於いても映える数々の功績あり。
・幕府機構が整う家綱(いえつな)期の後見役。
・加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)の後見役でもある。 第174回日本文化フォーラム、12月11日(木)午後2時~4時半「西川家」総合文化研究所 「明暦の大火、保科正之の72時間」
・故 西川秋象直筆の筆文字テキストなどを用いて、災害時の指揮ぶりを追う…。

  • 「前田綱紀(まえだ・つなのり)」
135回 日本文化フォーラム、6月27日(水)午後2時~4時半、穂高神社参集殿1階
・荻生祖来が「政治は加賀一、土佐二」と讃えた加賀藩第
5代藩主。
・弱者救済小屋(非人小屋)を45棟建てさせ、病人には医師を付け、健常者には職業支援と独立を支援し生業資金も与えた。
・新田開発や殖産興業を積極的に奨励。加賀100万石を実質130万石にまでした。
・城下整備・治安・防火対策に積極的だったことで有名。
・書物奉行・書物調奉行の全国各地への派遣、唐船書籍の全巻買取、文献保存・補修、図書選別など、木下順庵・室鳩巣らの学者を用いての書籍収集、全国から名工を集めての美術工芸品製作、「百工比照」と呼んだ博覧コレクション、加賀能(宝生流)の奨励、弓馬・射撃の武芸奨励など、隠遁までの79年の間に理想の藩を創り上げた。

  • 「蒲生氏郷(がもう・うじさと)」
137回 日本文化フォーラム、7月26日(木)午後2時~4時半、穂高神社参集殿1階
・日野(滋賀県)松坂(三重県松阪)会津若松(福島県)と、赴任地を次々と魅力的な城下町に変え、特産品を産み、のちの豪商を生み出す基盤を創り上げた。また、今日でも評価の高い「勘定役二人体制」を施行した。
・細川忠興(三斎)・古田重然(織部)・芝山宗綱(監物)らとともに、千利休の高弟七人を指す「利休七哲(りきゅうしちてつ)」の一人でもある。

  • 「細井平洲(ほそい・へいしゅう)」
142回 日本文化フォーラム、10月10日(水)午後2時~4時半、市民タイムス松本本社
・上杉鷹山(米沢藩主10代)、山村蘇門(尾張藩木曾代官9代)の師。
・門人によりまとめられた『嚶鳴館遺草』は後年、吉田松陰や西郷隆盛ら心酔の愛読書ともなった。

  • 「小堀遠州(こぼり・えんしゅう)」
第151回日本文化フォーラム、2月20日(水)午後2時~4時半、「西川家」総合文化研究所
    ・城郭・宮廷御所など、各種の建物・茶室・庭園の作事を手掛ける。
    ・担当した主な作事:江戸城、駿府城、名古屋城天守、伏見城本丸、御所、女御(徳川和子)御殿、大坂城(天守・本丸)、金地院(数寄屋・庭園)、仙洞(後水尾院)御所、二条城(二の丸)、近江水口城、伊庭茶室、江戸東海寺庭園など。
    ・「きれいさび」と称された遠州流茶道の創始者。
    ・ブルーノ・タウトが近世のレオナルド・ダ・ビンチと絶賛。

  • 「熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)」
第153回日本文化フォーラム、3月20日(木)午後2時~4時半、「西川家」総合文化研究所
江戸時代初期、山林の保全の必要性を説き実践す。
・岡山・茨城・九州など各地に、彼が行った土木工事「蕃山堤」が遺る。
・源氏物語にも造詣深く、また雅楽にも精通していた。
・滋賀県大津市(旧 志賀町)に蕃山文庫がある。

  • 「円仁(えんにん)」
    第158回日本文化フォーラム、5月21日⽔⃞午後2時~4時半、「西川家」総合文化研究所
・ライシャワーさんの功績により世界的にも有名な人物。
・その著書「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」は、『大唐西域記』『東方見聞録』並ぶ世界3大旅行記と評価される。
・浅草寺、喜多院、立石寺など東国の多数の寺院と関わりあり。
・芭蕉の「奥の細道」は、円仁ゆかりの寺院を訪ねる旅であったとも言える。

  • 「藤原公任(ふじわらの・きんとう)」
「三舟の才」
「小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき」
『大鏡』巻二によると、藤原道長が大井川<大堰川>で舟遊びを催した際、漢詩の舟・音楽の舟・和歌の舟と三つに分けて、それぞれの芸に秀でた人を乗せたことがあった。公任は和歌の舟に乗り、こういった歌を詠んだ。